| <メッセージ> |
| ●隔ての壁 |
| この社会には様々な隔ての壁があります。 |
| 皆さんは暮らしの中でそれを感じることがあるでしょうか。 |
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| 私は女性であることの隔てをよく感じます。 |
| 牧師は男性であると世間は思っています。 |
| 私が「牧師です」と言うと、「意外」という反応が返ってきます。 |
| そうさせたのは、キリスト教自身です。 |
| キリスト教の内部で性別による隔てを作ってきたから、世間はそう思うのです。 |
| 今日では状況はずいぶん変わってきました。 |
| けれども言葉の端々にそれを感じます。 |
| 無意識に発せられている言葉の中にもそれがあるのです。 |
| 外側は変わっても、人の心に染みついている隔ての思いは、容易に取り去るこ |
| とができないものなのだ、ということを教えられています。 |
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| ●様々な隔て |
| 性別による隔てだけではありません。 |
| この社会にはたくさんの隔てがあります。 |
| 人種による隔て |
| 病いに関する隔て |
| 宗教からくる隔て |
| 職種による隔て |
| そのほかにも、学歴・身分・年齢・・・等々、様々なものが人と人との間に隔てを |
| 作っています。 |
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| 隔てられている人にはその隔てがよくわかります。 |
| けれども隔てている人は、それに気付かないことが多いです。 |
| ある面で隔てられているその人が、別の面では隔てを作る者になっていること |
| がよくあります。 |
| 私達もそのような人間の一人です。 |
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| ●この世に生きられるイエス様 |
| イエス様は、この様に人と人とを隔てる社会に、人となって生きられました。 |
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| どこか遠く人と離れたところにいる神、人を上から見下ろしている神、観念的な |
| 神、思想や哲学の神であるならば、人間の作り出す隔てなど、関係ありません。 |
| けれども、イエス様は人となられた神様です。 |
| イエス様はユダヤ人としてこの世に来られ、ユダヤ人社会が作り出している諸 |
| 々の隔ての中に置かれたのでした。 |
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| ●隔ての中に居る女性 |
| そのイエス様のもとに、ひとりの女性がやってきました。 |
| この女性は何重もの隔てに取り囲まれていました。 |
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| 性別による隔て― |
| 彼女は女性でした。 |
| 女性は、ラビ「先生」と呼ばれている偉い人の前に出て行くことなど許されてい |
| なかったのです。 |
| ラビ「先生」と呼ばれる人はもちろん男性だけです。 |
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| 人種による隔て― |
| 彼女はギリシャ人でした。 |
| ユダヤ人からは異邦人と呼ばれている人種です。 |
| これは宗教上の隔てでもありました。 |
| 異邦人は本当の神様を信じていない人だ、だから汚れている、と思われてい |
| たのです。 |
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| 病いによる隔て― |
| 彼女の娘は汚れた霊に取りつかれていました。 |
| 娘を世話する母も、その汚れがうつっているわけです。 |
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| 幾重にも幾重にも覆い被さっている隔ての壁、 |
| 世の中全体がそういう社会なのですから、一人がどんなに頑張ってもどうする |
| ことも出来ません。 |
| 隔ての中で生きるしかないのです。 |
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| ●隔てを越える |
| ところが彼女はこの隔ての壁を越えたのでした。 |
| どうして越えることが出来たのだろうかと思います。 |
| 彼女を突き動かしたものは何だったのでしょうか。 |
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| 彼女は切羽詰まっていました。 |
| どこにも生きる道がありませんでした。 |
| そこに一筋の光が差し込んできたのです。 |
| それはイエス様の噂でした。 |
| 3章には |
| 「ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられるこ |
| とを残らず聞いて、そばに集まって来た。」 |
| と書かれています。 |
| ティルスからイエス様のところに出かけていった人達は、帰ってからイエス様 |
| のことを色々と話したことでしょう。 |
| それを聞いて彼女はどんなにイエス様のところに行きたかったことでしょう。 |
| イエス様は娘から汚れた霊を追い出してくださるに違いない。 |
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| でもそれは適わぬことでした。 イエス様がおられるガリラヤまで、60km位あ |
| ります。ここから横浜くらいの距離です。 |
| 乗り物のない時代のことです、病気の幼い娘を連れて行ける距離ではありま |
| せんでした。 |
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| ところがイエス様が、彼女の住んでいるティルスに来られたのです。 |
| 今は行こうと思えば行くことが出来る距離にイエス様がおられます。 |
| こんなチャンスはもう二度と起こらないでしょう。 |
| 今しかありません。 |
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| でも、イエス様と彼女との間には幾重もの隔てがあります。 |
| 彼女は、偉い先生のところに行くことが許されていない女性です。 |
| 彼女は異邦人です。 |
| 彼女は病気の汚れをもっています。 |
| どうしてイエス様のところに行けるでしょうか。 |
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| それでも彼女はイエス様のところに行かずにはいられなかったのです。 |
| 彼女が行くことは、イエス様に迷惑をかけることです。 |
| 拒まれるかもしれない。 |
| 後でイエス様も自分も人からひどいことを言われるかもしれない。 |
| 社会の規定を破っているのですから。 |
| でもそんなことを考える余裕は、もうありません。 |
| 彼女はイエス様に飛び込みました。 |
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| 彼女はイエス様の足もとにひれ伏しました。 |
| そして娘から汚れた霊を追い出してくださいと頼みました。 |
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| ●イエスの答え |
| この願いに対してイエス様は言われます。 |
| 「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、 |
| 小犬にやってはいけない。」 |
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| この言葉は私達にとって受け入れにくい言葉です。 |
| 子供たちとはユダヤ人達、すなわちイスラエルの民のことでしょう。 |
| 小犬は異邦人のことでしょう。 |
| それはわかります。 |
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| でも、イエス様は病んでいる人、苦しんでいる人に深く心を動かされ憐れんで |
| くださり、癒してくださるお方ではないか、 |
| それなのにどうしてイエス様は彼女の求めを拒絶なさるのか、と思います。 |
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| ●イエス様 |
| イエス様は、様々な隔てがあるユダヤ人社会に生きておられました。 |
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| この時イエス様はユダヤ地方を立ち去ってティルスの地方に来ておられました。 |
| ティルスは異邦人の住んでいる地です。 |
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| なぜイエス様がティルスに行かれたのか、その理由はわかりません。 |
| 聖書には書いてないのです。 |
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| でも「だれにも知られたくなかった」と書かれています。 |
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| 誰にも会いたくない、と思う時が私達にもあります。 |
| 深い悲しみの時、心に深い傷手を負った時、人の慰めの言葉はかえって苦し |
| みです。 |
| ほかの人の言動を受け取るだけの余裕がないのです。 |
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| この時イエス様は深い心の痛みの中におられたのではないでしょうか。 |
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| ●パン |
| イエス様は、「子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」と言われ |
| ました。 |
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| 6章から8章にかけて、パンのことが書かれています。 |
| 5000人にパンを与えられたこと、 |
| 律法学者たちが、手を洗わない汚れた手で食事をすることをとがめたこと、 |
| それに対してイエス様は、すべての食物は清いと言われたこと、 |
| そして今日の箇所、 |
| さらに8章では4000人にパンを与えられたことが記され、 |
| 「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」という |
| イエス様の言葉が記されていきます。 |
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| イエス様は命のパンです。 |
| イエス様はすべての人々を生かすために、人となられてこの世に来られたの |
| でした。 |
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| けれども、ユダヤ人達はイエス様を拒絶しました。 |
| イエス様が命のパンを割いて渡そうとしても、渡そうとしてもユダヤ人達はそ |
| れを受け取らなかったのです。 |
| イエス様とユダヤ人達の間には大きな隔ての壁がありました。 |
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| ●イスラエルの歩み |
| イスラエルの民は、地上のすべての人々が祝福に入るために、そのために選 |
| ばれた民です。 |
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| ところがイスラエルは誤った歩みをしました。 |
| 自分達は神から選ばれた聖なる民である、聖を保つために汚れを排除しなけ |
| ればいけないと考え、人々の間に様々な隔てを作っていったのです。 |
| 性別、異邦人、病い、している仕事…もろもろの隔てはすべて汚れを排除する |
| いうところから起こっています。 |
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| イスラエルによってすべての民が祝福に入ることが、神様の救いのご計画です。 |
| ですからまずイスラエル自身が誤りを悔い改め、神様の祝福に生きる民になら |
| なければなりません。 |
| イエス様はそのために来られたのでした。 |
| それなのにユダヤ人達はイエス様を拒絶したのでした。 |
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| イエス様はご自身を受入れない民のために悲しまれ苦しまれます。 |
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| ●「まず子供たちに・・・」 |
| もう一度イエス様の言葉を聞きましょう。 |
| イエス様は |
| 「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、 |
| 小犬にやってはいけない。」 |
| と言われました。 |
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| この日本語訳は、イエス様が「まず、子供たちに充分食べさせなければならな |
| い」と思っておられるとしか受け取れない訳です。 |
| ですから、私達は、イエス様が「あなたにはあげない」と言っていると思います。 |
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| でも、原文は「あなた」を主語とする命令形なのです。 |
| 直訳するとこうなります。 |
| 「あなたは最初に子供たちを満ち足らさせなさい。なぜなら、子供たちのパンを |
| 取って、小犬に投げるのは良くないからだ。」 |
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| ●彼女の答え |
| ですから彼女はこう答えるのです。 |
| 「主よ、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」 |
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| 「イエス様、あなたがイスラエルのために遣わされているのは良くわかっていま |
| す。 |
| 子供たちを押しのけて自分が、と思っているのではありません。 |
| パンくずでいいのです。どうぞわたしにください」 |
| と言っているのです。 |
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| この言葉はどんなにイエス様を慰めたことでしょうか。 |
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| ●主よ |
| 彼女はイエス様を「主よ」と呼びました。 |
| マルコによる福音書の中で「主よ」と呼んだのは彼女だけなのです。 |
| 他の人は、弟子たちも含めてイエス様を「先生」と呼んでいました。 |
| みんな、これまでのユダヤ人達が作り上げてきた社会の中で、ユダヤ人が作っ |
| てきた信仰の世界の中で、イエス様を見ていたのです。 |
| 彼女だけがイエス様を「主よ」と呼びました。 |
| 自分を縛っている隔てを乗り越えてお会いすることが出来たイエス様は、彼女 |
| の主であられました。 |
| 彼女はイエス様の命のパンをいただくことができたのです。 |
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| ●一人から |
| イエス様の命のパンは、ユダヤ人達が排除していた人々に届きます。 |
| すべての隔てを越えて分け与えられています。 |
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| 最初に隔てを越えたのは、一人の女性でした。 |
| やむにやまれぬ思いを持って隔てを越えてきた彼女に、イエス様も隔てを越え |
| て来てくださいました。 |
| この一つの小さい出来事が、すべての始まりです。 |
| イエス様は人が作り出した隔てを越えて、すべての人々の主となられました。 |
| イエス様の命のパンは、今やすべての人々に与えられています。 |
| イエス様が5000人にパンを与えられた時、残りのパンくずは12のかごに一 |
| 杯になったではありませんか。 |
| 12は完全数です。 |
| すべての人の分が充分にあります。 |
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| ですから私達もイエス様のパンをいただくことが出来ます。 |
| 私達も、わたしを囲んでいる隔て、わたしが作っている隔てを越えることが出来 |
| るでしょう。 |
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| ●結語 |
| 私達も 「主よ、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」 |
| と言える一人にさせていただいています。 |
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