| <メッセージ> |
| ●主題 |
| 新しい年度が始まりました。 |
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| 正式には教会総会で決められることですが、私達はこの1年「わたしは道であ |
| り、真理であり、命である。」という御言葉を心に刻みながら歩んでいきます。 |
| この言葉はイエス様が十字架に向かわれる直前、イエス様がどこかに行って |
| しまうらしいと心騒がせ、不安になっている弟子たちに言われた言葉です。 |
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| イエス・キリストが道なのです。 |
| イエス・キリストが真理なのです。 |
| イエス・キリストが命なのです。 |
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| 「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 |
| とイエス様は言われています。 |
| イエス・キリストのほかに、真理に到達する道はないのです。 |
| イエス・キリストのほかに、命を得る道はないのです。 |
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| 「わたしは道であり、真理であり、命である。」 |
| この言葉の重さを、私達はもっと深く知る必要があるでしょう。 |
| 「キリストだけが道であり、真理であり、命である。」と告白し、その告白通りに |
| 生きていく、このことを、私達は総会において決意するのです。 |
| 主題として選ぶということは、そういうことです。 |
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| ●道 |
| イエス・キリストご自身が道であられます。 |
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| 道というのは、ある場所とある場所を繋いでいるものです。 |
| 行きたいと思っているその場所に行くために、今自分がいる場所から道を通っ |
| て歩いていきます。 |
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| キリストという道は、私達人間が今生きている場所から、神様のところに行く |
| ための道です。 |
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| ●父の家 |
| イエス様は |
| 「 14:2わたしの父の家には住む所がたくさんある。」 |
| と言われました。 |
| 父の家とは、神様のおられる所です。 |
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| 地上に人となって来られたイエス様は、神様のことを父と言われました。 |
| それで、神様がおられるところを、「わたしの父の家」と言われるのです。 |
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| ●住まいがたくさんある |
| 「わたしの父の家には住む所がたくさんある」とイエス様は言われます。 |
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| 全ての人が住めるだけの住まいが用意されているのです。 |
| あなたの住まいはないよ、と言われる人はひとりもいないのです。 |
| 神様は私達が、そしてすべての人達が神様の所に来るのを、用意万端整え |
| て待っていてくださるのです。 |
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| ●行けない |
| それなのに、人は神様のおられる所に行くことができませんでした。 |
| 道がなかったからです。 |
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| 人は神様に背きました。 |
| 人が神様を裏切りました。 |
| 神様に対して罪を犯しました。 |
| そのことについては、創世記にアダムとエバの物語として表現されています。 |
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| 人と神様との間には深い深い淵が出来てしまいました。 |
| 人が神様の所に行く道がなくなってしまったのです。 |
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| ●旧約 |
| それでも神様は人を見捨てることをなさいませんでした。 |
| 人が悔い改めて神様のもとに帰ってくるのを待ち続けてくださいました。 |
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| 旧約聖書に記されている長い長い歴史は、神様が人に対して「悔い改めて |
| 帰れ」と呼びかけ、働きかけてくださった歴史です。 |
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| けれども、人は悔い改めて神様のもとに帰ることが出来ませんでした。 |
| 人は自分が神様の前に正しい者となって、神様のもとに帰ることが出来なか |
| ったのです。 |
| 道は絶たれたままでした。 |
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| ●道となられる |
| ところが、道が出来たのです。 |
| イエス・キリストが道になられました。 |
| 人が神様の所に帰っていく道が出来たのです。 |
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| キリストはどのようにして道となられたのでしょうか。 |
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| それは神様が人の所に来る、という出来事によって始まりました。 |
| 人となられた神様がイエス様です。 |
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| イエス様は地上におられた時、神様を父と呼ばれました。 |
| それで私達も父なる神、御子イエス・キリスト、と呼びます。 |
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| ●一つの神 |
| けれども父なる神と、子なるイエス・キリストがおられるのではありません。 |
| 同じ一つの神です。 |
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| 父なる神と、イエス・キリストを別々の存在であるかのように思う間違いは、 |
| 私達ばかりでなくイエス様の弟子フィリポも犯しました。 |
| フィリポは |
| 「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」 |
| と言ったのでした。 |
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| するとイエス様は、 |
| 「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。」 |
| と言われ、こう言われました。 |
| 「わたしを見た者は、父を見たのだ。・・・ |
| 14:10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じない |
| のか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わ |
| たしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 |
| 14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言う |
| のを信じなさい。」 |
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| イエス様は、ご自分と父が一つであることをはっきりと言っておられます。 |
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| ●イエスキリスト |
| イエス様は、人となられた神様です。 |
| 神様の方から、人の所に来てくださったのです。 |
| 悔い改め、自ら正しい者となって神様の所に行くことができない人間の所に、 |
| 来てくださいました。 |
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| そして神様に逆らい背く人間の全ての罪を、人に代って負ってくださったので |
| す。 |
| 十字架にかかって全ての罪を贖って下さいました。 |
| そして復活され神様のもとに帰られました。 |
| 十字架と復活によって、イエス・キリストは道になって下さったのです。 |
| 人が神様の所にいくことが出来る道となってくださいました。 |
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| 背きの罪によって出来てしまった深い深い淵に、橋が架かりました。 |
| 私達はキリストという道を通って神様の所に行くことが出来るようになったの |
| です。 |
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| ●キリストを通らなければ行けない |
| 全ての人は、イエス・キリストを通らなければ神様の所に行くことが出来ませ |
| ん。 |
| イエス様は |
| 「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 |
| と言われているのです。 |
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| 間違った考えをする人達がいます。 |
| 真理は一つだ。ちょうど登山道はいろいろあっても山の頂上は一つであるよう |
| に、どの宗教を信じていても、行き着くところは同じだ、と考えるのです。 |
| これはとんでもない間違いです。 |
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| 人が神と呼んでいるものはこの世にたくさんありますが、人を救うために死ん |
| でくださる神様は、イエス・キリスト以外にはありません。 |
| キリストだけが、わたしのために死んでくださるのです。 |
| 神様に逆らう罪ゆえに、本当はわたしが死ななければならなかったのです。 |
| その罪を全部引き受けて、キリストが死んでくださったのでした。 |
| それによって私達は命を得ました。 |
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| キリストだけです。 |
| 私達を生かすために死んでくださるのは、キリストだけです。 |
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| キリストを通らずに、神様の所に行くことは出来ません。 |
| キリストを通らずに、永遠の命をいただくことは出来ません。 |
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| 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも |
| 父のもとに行くことができない。」 |
| このイエス様の言葉を、しっかり心に刻みましょう。 |
| この言葉によって生かしていただきましょう。 |
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| ●共に生きる |
| しっかりとこの御言葉に立つならば、私達はすべての人達と共に生きていくこ |
| とができます。 |
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| 他の信仰を持っている人達とも、共に生きていけます。 |
| 「行き着くところは同じだ、だから仲良くやりましょう」ではありません。 |
| キリスト以外に救いはないことがはっきりしているから、他の人達とも共に生 |
| きるのです。 |
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| ローマの信徒への手紙5章には、このように書かれています。 |
| 「5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信 |
| 心な者のために死んでくださった。 |
| 5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜し |
| まない者ならいるかもしれません。 |
| 5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのた |
| めに死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」 |
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| 不信心な人のために、罪人のために、敵のために、キリストは死んでくださっ |
| たのです。 |
| キリストは全ての人のために死んでくださいました。 |
| 今はまだキリストを知らず、他の神々を拝んでいる人達のためにも、キリスト |
| は 死んでくださったのです。 |
| キリストが命を捨ててまで救おうと願っておられるその人なのですから、私達 |
| もその人と共に生きていくのです。 |
| その人がキリストの救いを知ることが出来ますようにと祈りながら、その人と |
| かかわりながら、しかし自分自身はしっかりとキリストの道を歩むのです。 |
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| イエス様は |
| 14:12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、 |
| また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 |
| と言われました。 |
| 「わたしは道になる。だから、すべての人達がこの道を行くことが出来るように |
| 働きなさい」 |
| と私達に使命を与えておられるのです。 |
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| ●新しい道 |
| キリストの道は、新しい道です。 |
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| 人は、自分達と違う信仰を持っている人を殺すことが正しいと教えられ、そう |
| してきました。 |
| 今もそうしている人達がいます。 |
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| 旧約の時代も、異なる神々を拝む人達が殺されることによって、信仰が守られ |
| てきたのでした。 |
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| けれどもキリストの道は全く違うのです。 |
| それは今までになかった全く新しい道です。 |
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| ●誰も殺さない |
| イエス様は誰も殺しませんでした。 |
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| イエス様を捕らえようと、人々が剣や棒を持ってやってきた時、弟子のひとり |
| が剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落としました。す |
| るとイエス様が言われたのです。 |
| 「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願い |
| できないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ |
| 送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の |
| 言葉がどうして実現されよう。」 |
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| そしてイエス様は十字架に向かわれたのです。 |
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| キリストは十字架にかかって道となってくださいました。 |
| 全く新しい道が開かれたのです。 |
| これがキリストの真理です。 |
| 全ての人を生かす命です。 |
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| ●キリストの道を行く |
| キリストは道となられました。 |
| もう荒野をさまよい歩かなくてもいいのです。 |
| どの道を行ったらいいのかと迷うこともないのです。 |
| キリストが道なのです。 |
| この道を行けば、必ず神様のところに行けるのです。 |
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| キリストという道を歩むということは、キリストの中を歩いていくということで |
| す。 |
| いつもキリストが共にいてくださいます。 |
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| そのようにしてこの世の人生を歩んでいくことは、何と安心なことでしょうか。 |
| 先に希望を見ながら、歩むことができます。 |
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| ●結語 |
| 「わたしは道であり、真理であり、命である。」 |
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| イエス様は私達に道を示してくださっています。 |
| 私達はこの道を歩んでいきます。 |
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