| <メッセージ> |
| ●望みなく |
| 私達は、『望みは完全になくなった。わたしは滅びるほかない』と思うことがあり |
| ます。 |
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| イスラエルの民もそうでした。 |
| 『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』 |
| と言っています。 |
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| ●捕囚の民 |
| イスラエルの国は滅びました。 |
| BC722年に北イスラエル国がアッシリアによって滅ぼされ、135年後のBC |
| 587年に南ユダ国もバビロンによって滅ぼされました。 |
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| 今、人々は捕囚となってバビロンに連れてこられています。 |
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| 想像してみてください。 |
| 遠い国に連れてこられてしまった。 |
| 景色が違う。 |
| 気候も違う。 |
| 周囲の人々の姿、形が違う。 |
| 言葉が違う、何を言っているのかわからない。 |
| 生活習慣が違う、どう暮らしていけばいいのか。 |
| 信じている神様が違う。 |
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| そして最も絶望的なことは、もう帰って行くところがないということです。 |
| 国がなくなってしまったのです。 |
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| 全く望みを失った人々でした。 |
| 先にあるのは滅びだけです。 |
| 自分達を枯れ果てた骨のように感じていました。 |
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| ●神に捨てられた |
| このような境遇に置かれることは耐えがたいことです。 |
| しかしそれ以上に人々を絶望に陥れていたのは、主なる神様が彼らを見捨て |
| られたということでした。 |
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| イスラエルの人々は、自分達は神様に選ばれた民である、という思いをしっか |
| りと持っていました。 |
| いつも神様に導かれている、神様が守ってくださっていると信じて、これまで歩 |
| んできたのです。 |
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| 確かに民は幾度も神様に背き、その度に敵が襲ってくることを経験してきまし |
| た。 |
| けれども神様は最後には危機から民を救ってくださったのです。 |
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| けれど今度は違った。 |
| 人々は神様に見捨てられた絶望を味わっていました。 |
| 神様は去られた。 |
| もはや私達と共にいてくださらない。 |
| 「我々の骨は枯れた」 |
| もう生き返ることはないのです。 |
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| ●幻 |
| この時、主はエゼキエルに幻を見せられたのでした。 |
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| ここに記されているのは幻であって、実際こういうことが起ったというのではあ |
| りません。 |
| 幻によって主の御心が告げられるのです。 |
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| 幻の中で主がエゼキエルに言われます。 |
| 「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」 |
| エゼキエルは、「はい」と答えることが出来ません。 |
| 枯れ果てた骨が生き返ることはありえない、とエゼキエルは思っています。 |
| エゼキエルだけではありません、すべての人が、そう思っています。 |
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| エゼキエルは答えます。 |
| 「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」 |
| 『わたしは出来ないと思っています。 |
| この問いの答えは主なる神様、あなたのみがご存じです』 |
| ということです。 |
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| このように答えるエゼキエルに、主は主の答えを示されるのです。 |
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| 主はエゼキエルに言われます。 |
| 「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を |
| 聞け。」 |
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| エゼキエルが命じられたように預言すると、枯れた骨は生き返って自分の足 |
| で立ちました。 彼らは非常に大きな集団となりました。 |
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| これがエゼキエルが見た幻です。 |
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| ●幻の意味 |
| 『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と言う人々に、主は |
| 幻によって、答えられたのです。 |
| 『わたしがあながたを生き返らせる。 |
| あなたがたは滅び去るのではない。 |
| わたしが生かす。』 |
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| 望みを失い絶望の中にいる人々に希望を与える主の幻です。 |
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| ●希望を失う私達 |
| この幻が、今日、私達に示されています。 |
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| 先に希望を見ることが出来なくなっている私達です。 |
| 大災害が襲ってくる予感におびえています。 |
| 戦争が起る不安を抱えています。 |
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| この社会で生きていくのは大変です。 |
| 私達、そして多くの人達が、息苦しさを感じています。 |
| 負いきれない課題がのしかかっています。 |
| 自分の努力では解決できずに、状況に飲み込まれていきます。 |
| もがいてももがいても出口が見えず、疲れ果て、もうあきらめてしまっています。 |
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| 老いの苦しみがあります。 |
| 衰えていく中のどこに、希望がありますか。 |
| 先にあるのは、死だけです。 |
| 文字通り、骨は枯れ、望みは失せ、滅びるばかりです。 |
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| どこに希望を探したらいいのでしょうか。 |
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| ●人間は神を捨てた |
| イスラエルの民は、どこにも希望を見いだすことが出来ないでいました。 |
| 主なる神様に見捨てられてしまったからです。 |
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| 私達は、どこにも希望を見いだすことが出来ずにいます。 |
| 神様が人間を見捨てられたからではありません。 |
| 人間が神様を捨てたのです。 |
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| 人間は何でも出来ると思いました。 |
| やがては人間がすべてを支配出来ると思い、すべてを支配することに向かって |
| 人類は歩んできました。 |
| 人間は人を神とする歴史を辿ってきたのです。 |
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| 今私達が生きている世は、人が神となっている世です。 |
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| けれども、神無しの世界には希望がないことが、わかってきました。 |
| 行く先は死と滅びです。 |
| どこを探しても、いのちが見えてきません。 |
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| 今、私達は望みを失い、滅びしかないと、暗い気持になっています。 |
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| ●主の言葉 |
| その中で今日、私達は主の言葉を聞くのです。 |
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| 「わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、 |
| イスラエルの地へ連れて行く。 |
| わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たち |
| はわたしが主であることを知るようになる。 |
| また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしは |
| お前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしが |
| これを語り、行ったことを知るようになる。」 |
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| 主がおられます。 |
| 主は、『わたしがあながたを生き返らせる。 |
| あなたがたは滅び去るのではない。 |
| わたしが生かす。』と言われているのです。 |
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| ●生き返らせる |
| 主が私達を生き返らせてくださいます。 |
| 私達がどんなに絶望のどん底にいて、希望を失い、もう滅びるほかないと思っ |
| ていても、主はそこから引き上げてくださいます。 |
| 死んだような状態から生き返らせてくださいます。 |
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| 主は何もないところから天地を造られたお方、 |
| 言葉だけで無から有を造りだすお方、 |
| 死から命を生み出すお方です。 |
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| 主なる神様は、イエス・キリストを死から復活させられました。 |
| 私達自身は、神様から「死からの復活はあるか」と問われれば、「はい」と言え |
| ない者です。 |
| エゼキエルのように「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」とかろうじて答え |
| ます。 |
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| 主なる神様は、事実イエス・キリストを復活させられました。 |
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| ですから、私達を取り巻く状況がどんなに厳しくても、目に見えている事柄から |
| は希望を見いだせなくても、それでも、私達は希望を持つことが出来ます。 |
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| ●新しい神殿の幻 |
| エゼキエルは捕囚の地バビロンで、『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、 |
| 我々は滅びる』と嘆く民に主から受けた幻を語りました。 |
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| エゼキエルは、主の約束の実現を待ち望みます。 |
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| 主は、更なる幻をエゼキエルに与えられました。 |
| それはエゼキエルと民が捕囚となってバビロンに連れて行かれてから25年目、 |
| エルサレムが破壊され国が滅亡して第2回目の捕囚が行なわれてから14年 |
| 目の初めの月の10日の事でした。 |
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| エゼキエルは幻のうちにイスラエルの地に連れて行かれます。 |
| 新しい神殿の幻が示されます。 |
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| 幻のうちに見た神殿について、細かい説明が記されています。 |
| 構造から長さまで事細かく記されています。 |
| 新しい神殿の設計図です。 |
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| さらにエゼキエルは、 幻のうちに、主の栄光が、東の方に向いている門から |
| 神殿の中に入るのを見るのです。 |
| それはケバル川の河畔で見た幻、そして主の栄光が神殿を去るのを見た幻と |
| 同じでした。 |
| 主が神殿に帰ってこられるのです。 |
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| 神殿のある都が描写されます。 |
| 水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れています。 |
| それは泳がなければ渡ることのできないほどの川になっていました。 |
| 川岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹があり、それらは大きくな |
| り、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつけました。 |
| 水が聖所から流れ出るからです。 |
| その果実は食用となり、葉は薬用となります。 |
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| ●黙示録 |
| この幻は、黙示録に記されているヨハネが見た幻に繋がっていきます。 |
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| 黙示録にはこのように記されています。 |
| 「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川を |
| わたしに見せた。 |
| 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回 |
| 実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。」 |
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| 今、私達は主が約束された新しい天と新しい地を望み見ています。 |
| 「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。 |
| 神は自ら人と共にいて、その神となり、 |
| 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみ |
| も嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」 |
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| やがて来る新しい都には、神殿はありません。 |
| 全能者である神と屠られた小羊キリストが、都の神殿だからです。 |
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| この都には、太陽も月も必要ありません。 |
| 神の栄光が都を照らしており、小羊キリストが都の明かりだからです。 |
| 夜がないので、都の門は閉ざされません。 |
| 門は開きっぱなしです。 |
| いつでも、誰でも都に入っていくことが出来ます。 |
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| 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、 |
| 都に来ます。 |
| 「しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入 |
| れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。」 |
| とあります。 |
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| 汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れないな |
| らば、誰一人都に入ることは出来ません。 |
| 「正しい者はいない。一人もいない。」 |
| 「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」 |
| ことを、私達はローマ書を通して知っています。 |
| しかし、「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で |
| 義とされる」ことも知っています。 |
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| キリストがおられるのです。 |
| 都に入れない人がどこにいるのでしょうか。 |
| すべての人が入りきってもまだ都の門は開いています。 |
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| ●神の救いの歴史 |
| すべての人々は、神様の救いの歴史の中に置かれています。 |
| 神様の救いの歴史の中で、バビロンに捕われた人々が生きました。 |
| 同じ神様の救いの歴史の中に、私たちも生きています。 |
| 捕囚の人々と同じ幻を見、同じ約束をいただいています。 |
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| ●イエス・キリスト |
| この神様の救いの歴史の中にイエス・キリストが来られました。 |
| すべての人のすべての罪を負って十字架に死にすべての罪を贖ってください |
| ました。 |
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| 死から復活されたイエス・キリストが、私達と共にいてくださいます。 |
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| ですから、私達は『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と |
| しか思えない状況にあっても、希望を持って生きることが出来ます。 |
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| ●結語 |
| うなだれている頭を上げましょう。 |
| 伏せている目を高く上げましょう。 |
| キリストがおられます。 |
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| 私達は喜びに溢れ、希望に満ちて生きていけます。 |
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