| <メッセージ> |
| ●ダニエルと少年達 |
| 今日のお話は、イスラエルの民が捕囚となってバビロンに連れて来られていた |
| 時代のことです。 |
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| 少年達もバビロンに連れてこられていました。 |
| この中に、ダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの4人がいました。 |
| この4人は、3年間の養成の期間を経たのち、バビロン王ネブカドネツァルに |
| 仕えることになりました。 |
| 4人とも、知識と才能を神様から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れて |
| いて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができました。 |
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| 名前がバビロン風に変えられました。 |
| ダニエルはベルテシャツァル、ハナンヤはシャドラク、ミシャエルはメシャク、 |
| アザルヤはアベド・ネゴと呼ばれました。 |
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| 王は知恵と理解力を要する事柄があれば彼らに意見を求めました。 |
| 彼らは常に国中のどの占い師、祈祷師よりも十倍も優れていたのです。 |
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| ●王の夢 |
| ある時、王は夢を見て不安になりました。 |
| その夢を言い当て解釈することが出来たのはダニエルだけでした。 |
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| 王はダニエルを高い位につけ、バビロン全州を治めさせ、バビロンの知者すべ |
| ての上に長官として立てました。 |
| ダニエルは王に願って、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州の行政 |
| 官に任命してもらいました。 |
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| ●高い地位に |
| 私達はバビロン捕囚の民について思い違いをしていたかもしれません。 |
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| 捕囚となった民は厳しい労働を課せられ、貧しく不自由な暮らしをしていたと |
| 思っていたのではありませんか。 |
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| そのような暮らしを強いられた人達もたくさんいたでしょう。 |
| けれども、バビロンの王制度の中で、高い地位に就く人達もいたのだ、という |
| ことを、今日の箇所で教えられます。 |
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| ●課題 |
| なにがしかの地位に就く人には、戦わなければならない課題があります。 |
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| 自分より上の地位にいる人に従わなければなりません。 |
| その人から信任を得なければ仕事が出来ません。 |
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| 周りの人達とうまくやっていかなければなりません。 |
| 自分がどんなに優秀であっても、一人では事は進まないのです。 |
| 自分を認めてくれる人達がいて、一緒に働く人達がいるのです。 |
| その人達と仕事をしていくためは、人と妥協しなければならない事も起こってき |
| ます。 |
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| その中で、いつの間にか周りに流されるということが起こります。 |
| 本当に大切なものを見失ってしまうことが起こるのです。 |
| そのような中で、自分を見失わないでいることは、自分自身の内なる戦いです。 |
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| ダニエル達4人の若者は、異なる神々を拝む人達の間で、王やその国の人達 |
| に仕えていかなければなりませんでした。 |
| 異なる神々に膝をかがめるのもやむを得ない、と思っても不思議ではありませ |
| ん。 |
| しかし4人は、異なる神々を礼拝するバビロンの地にあって高い地位を得ても、 |
| 主なる神だけを礼拝しました。 |
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| ●金の像 |
| ところが更なる厳しい事態が発生したのです。 |
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| ネブカドネツァル王が金の像を造りました。 |
| 高さが27mもある像です。 |
| 奈良の大仏は15m、鎌倉の大仏は11mですから、2倍くらいのものすごく大 |
| きい像です。 |
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| 国中に命令がくだされました。 |
| 「諸国、諸族、諸言語の人々よ、あなたたちに告げる。 |
| 角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器による音楽が聞 |
| こえたなら、ネブカドネツァル王の建てられた金の像の前にひれ伏して拝め。 |
| ひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる。」 |
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| ●ねたみ |
| なにがしかの地位に就く人が戦わなければならないもう一つの課題は、人々か |
| らねたみを買うというということです。 |
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| 捕囚として連れてこられたユダヤ人が自分達を治める地位にいるということは、 |
| もともとバビロンに住んでいるカルデア人にとっては我慢ならないことです。 |
| 何人かのカルデア人がユダヤ人を中傷しようと進み出て、ネブカドネツァル王 |
| に言いました。 |
| 「バビロン州には、その行政をお任せになっているユダヤ人シャドラク、メシャク、 |
| アベド・ネゴの三人がおりますが、この人々は御命令を無視して、王様の神に |
| 仕えず、お建てになった金の像を拝もうとしません。」 |
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| これを聞いて王は怒りに燃え、3人を連れてこさせて言いました。 |
| 「わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まない |
| なら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す |
| 神があろうか。」 |
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| ●そうでなくとも |
| この時、3人は言うです。 |
| 「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを |
| 救うことができますし、必ず救ってくださいます。 |
| そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建 |
| てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」 |
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| 私達も、このように言える信仰を持ちたいです。 |
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| 私達はキリストをくださった神様を信じ、神様に仕えています。 |
| キリストを信じて生きている暮らしの中に、命を脅かす危険が襲ってきます。 |
| 燃え盛る炉に投げ込まれるような出来事です。 |
| だれがどう考えても死しかありません。 |
| 命が救われる可能性は全くないのです。 |
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| その時に、私達は、キリストをくださった主なる神様はわたしを救うことがお出 |
| 来になる、と言うことが出来るでしょうか。 |
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| ●王の手 |
| キリストに仕えて生きている暮らしの中に、人による権力の手が容赦なく入り込 |
| んできます。 |
| 王様が怒りに燃えて3人を殺そうとしたように、です。 |
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| 国の指導者達は手にした権力を用いて、再び戦争をする国にしようとしていま |
| す。 |
| 言論の自由、信仰の自由、個人が持っている人権を、国益という大義名分に |
| よって奪おうとしています。 |
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| 世界の国々は自分の国の利益のみを求めて、共に生きようとはしません。 |
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| そのような世の権力によって、いとも簡単に殺されてしまう世の中に私達は生 |
| きています。 |
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| この状況の中で、私達は、キリストをくださった主なる神様は私達を救うことが |
| お出来になる、と信じることが出来るでしょうか。 |
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| ●私達 |
| 私達は現実の出来事に目を奪われます。 |
| 現実の出来事が絶対的なものに見えます。 |
| 神様でもこの危機から人を救うことは出来ないと、思います。 |
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| ●どこからくるか |
| 「神様は必ず救ってくださいます」と言い切る信仰はどこから生まれるのでしょう |
| か。 |
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| それは神様は救うことがお出来になると信じて生きてきた日々の歩みの中か |
| ら生まれます。 |
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| ダニエル達は、エルサレムが陥落するのを見てきました。 |
| 自分の家が焼かれ、王宮も神殿も焼かれ、町全体が灰になるのを見てきました。 |
| そして遠く異国に地に連れてこられたのです。 |
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| それでもイスラエルの人達は、主なる神を捨てることをしませんでした。 |
| アブラハムから始まって長い歴史を主が導いてこられたことを知っているからで |
| す。 |
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| ダニエルは王の夢を解くことが出来なかったバビロンの占い師、祈祷師、まじな |
| い師、賢者と一緒に殺されそうになりました。 |
| その時ダニエルが夢を解いたため救われたのでした。 |
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| 幾度も死の危機にさらされながら、その度に、主は救ってくださると信じて救わ |
| れてきたのでした。 |
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| ●私達は |
| 私達はどうでしょうか。 |
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| 主を信じきれない私達です。 |
| けれども、そのようなわたしをも神様は救ってくださった、その経験を重ねる中 |
| で「必ず救ってくださいます。」と言うことが出来るようにしていただけるのです。 |
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| ●信じる者には何でもできる |
| 病気に苦しむ息子をイエス様のもとに連れてきた父親がいました。 |
| 彼はイエス様に言いました。 |
| 「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」 |
| するとイエス様は言われました。 |
| 「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」 |
| 父親はすぐに叫びました。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」 |
|
| 私達はイエス様から「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」 |
| と言われ、 |
| そのたびに「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」 |
| と叫んで生きています。 |
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| ●信仰の飛躍 |
| そして私達の信仰は、更なる飛躍を遂げていきます。 |
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| シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは |
| 「そうでなくとも」 |
| と言ったのでした。 |
| 神様が救ってくださらなかったとしても、わたしたちは王様の神々に仕えること |
| も、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません、と言ったのです。 |
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| 私達の信仰が御利益を求める信仰ならば「たとえそうでなくとも」と言う言葉は |
| 出てきません。 |
| 救ってくださると信じていたのに、救ってくださらなかったじゃないか。 |
| そんな神様は役に立たない、と思います。 |
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| このような信仰はいつも揺れ動いています。 |
| 願い通りになれば、熱心な思いになり、願い通りにならなければ疑いを持つの |
| です。 |
| これは、自分を中心にして神様を値踏みする信仰です。 |
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| ●そうすれば信じてやろう |
| イエス様が十字架にかけられたとき、人々は |
| 「今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。」 |
| と言いました。 |
| イエス様を値踏みしているのです。 |
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| イエス様は十字架から降りてこられませんでした。 |
| イエス様が「そうすれば、信じてやろう。」と言われた通りになさったなら、言った |
| 人達はイエス様を救い主と信じたでしょうか。 |
| そうはならないでしょう。 |
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| イエス様は十字架から降りてこられませんでした。 |
| 降りる事が出来なかったのではありません。 |
| 降りる事がお出来になりました。 |
| けれども降りてこられなかったのです。 |
| 人の思いは実現しませんでした。 |
| 神様の、すべての人々を救おうとされる思いが、実現されました。 |
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| イエス様は「そうすれば、信じてやろう。」から「たとえそうでなくとも」へと人々を |
| 引き上げてくださったのです。 |
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| ●神に軸足を置く |
| 「そうすれば、信じる」信仰から「そうでなくとも信じる」信仰へ。 |
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| その時、信仰は揺れ動かなくなります。 |
| 信仰の軸足が自分から神様へと移るからです。 |
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| わたし自身は相変わらずうまくいけば神様を賛美し、うまくいかなければ神様に |
| 失望する者です。 |
| けれどわたしがどんなに揺れ動いても神様は揺れ動きません。 |
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| ●結語 |
| イエス様は私達を「そうすれば、信じる」信仰から「そうでなくとも信じる」信仰へ |
| と引き上げてくださいます。 |
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| ゆらぐことのないまことの平安の中で、私達は生きることが出来るのです。 |
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