| <メッセージ> |
| ●復習 |
| 9章の初めから続いてきたお話の終わりに来ています。 |
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| 生まれつき目の見えない人の目をイエス様が開けられました。 |
| 目が見えるようになった人は、ただ一つのことに立ち続けます。 |
| 「イエスは罪ある人間だ」と決め込んでいる人々の前で彼は言いました。 |
| 「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、 |
| 目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」 |
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| けれど人々は彼に起こった出来事を認めません。 |
| 「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはず |
| です。」 |
| と言う彼に、彼らは、 |
| 「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼 |
| を外に追い出したのでした。 |
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| ●外に追い出す |
| 「外に追い出す」ということは単に建物の外に出されたということではありません。 |
| 会堂はユダヤ人達の生活の中心です。 |
| 会堂から追放されるということは、ユダヤ人社会から追放されることです。 |
| 社会から排除されるということです。 |
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| 人々からさんざん問いただされ、ののしられ、外に追い出された彼でした。 |
| 疲れ果て、呆然としています。 |
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| ●イエスが彼に出会う |
| イエス様は彼が外に追い出されたことを、お聞きになりました。 |
| たまたま耳にされた、というのではないでしょう。 |
| イエス様は彼のことをずっと気にかけておられたのでしょう。 |
| それで彼の消息を聞き取られたのです。 |
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| イエス様は彼を見つけに行かれました。 |
| イエス様が最初に生まれつき目の見えない人に会われたのは通りすがりでした。 |
| でも今はイエス様の方から彼を探しに行かれるのです。 |
| そして彼を見つけられました。 |
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| ●イエスを見る |
| イエス様が道を歩いて彼に近づいてこられます。 |
| でも彼にはその人が誰だかわかりません。 |
| 彼はイエス様の顔をまだ見ていないのです。 |
| 「誰だろう?みんなから除け者にされたわたしに近づいてきてくれる人は?」 |
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| その人は言いました。 |
| 「あなたは人の子を信じるか」 |
| 声を聞いてわかりました。 |
| 「シロアムの池に行って洗いなさい」 |
| と言った人の声です。 |
| 「あ!この人がわたしの目を見えるようにしてくれたんだ。」 |
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| 彼は「主よ」と叫びます。 |
| 「その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 |
| 「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 |
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| 「主よ、信じます」 |
| 彼はイエス様の前にひざまずきました。 |
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| イエス様は、彼の肉体の目を見えるようにされただけではなく、もう一つの目も |
| 見えるようにしてくださったのです。 |
| 神様の救いの業を見ることが出来るようにしてくださいました。 |
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| ●変化 |
| 肉体の目が見えるようになってから、神様の救いの業が見えるようになるまで、 |
| 彼にはいくつかの変化がありました。 |
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| ファリサイ派の人々から問われた時、彼は「あの方は預言者です」と言いました。 |
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| さらに問い詰められた彼は |
| 「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはず |
| です。」 |
| と言っています。 |
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| でもイエス様がどのようなお方であるかはまだはっきりしていません。 |
| 薄ぼんやりと見えているだけです。 |
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| ●イエスの問いかけ |
| その彼にイエス様は出会ってくださったのでした。 |
| そして問うてくださったのです。 |
| 「あなたは人の子を信じるか」 |
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| 「人の子」というのは、私達と同じ人間であって、しかも神の救いをもたらす存在、 |
| 「神の救いそのものであるような存在」を言い表します。 |
| 当時の人々はその様な存在を「人の子」と呼んでいたのでした。 |
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| イエス様は彼に |
| 「地上に居る神の救いそのものである存在を信じたいと思うか」と問われたの |
| です。 |
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| もちろん信じたいです。 |
| 彼は |
| 「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 |
| と言います。 |
| 信じたいけれど、そのお方が誰なのかは分からないのです。 |
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| するとイエス様が言われました。 |
| 「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 |
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| 「もうその人を見ている」 |
| 完了形です。 |
| そうです、彼は見えるようになった目で、今イエス様を見ているのです。 |
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| 「このお方が救い主」 |
| もう一つの目が開かれた瞬間でした。 |
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| ●私達 |
| 生まれつき目が見えなかった人が見えるようになったこの物語は、私達の物語 |
| でもあります。 |
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| これまで、一人ひとりの人生に色々なことがありました。 |
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| 何とかしなければ、と力を振り絞りあらゆることを試みました。 |
| けれど自分ではどうすることもできませんでした。 |
| あきらめました。 |
| ただ起こってしまった事態の中でうずくまっています。 |
| もう何かを望むこともありません。 |
| 祈ることもありません。 |
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| ●イエスが見てくださる |
| そんなわたし、私達一人ひとりを、イエス様が見てくださったのです。 |
| そして、神の業を現してくださいました。 |
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| 私達は、わたしの身に起こった神の業を知りました。 |
| 行き詰まった事態から救い出してくださったのです。 |
| もう一度わたしを立たせて、生きられるようにしてくださったのです。 |
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| この事実は確かです。 |
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| ●分かってもらえない |
| 私達は、わたしにしてくださった神様の業をほかの人に話します。 |
| イエス様がわたしを救ってくださったことを話します。 |
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| でも分かってもらえないことが多いのです。 |
| 仲間はずれにされたように感じます。 |
| 家族の中で、友達の中で、分かってもらえないのは心痛いことです。 |
| 孤独を感じます。 |
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| ●イエスが来てくださる |
| でもイエス様はそんなわたし、私達をほっておかれません。 |
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| わたしは知らなかったけれども、イエス様はずっと気にかけてくださっていたの |
| です。 |
| そしてわたしの様子を見て、会いに来てくださるのです。 |
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| 私達は、わたしに語りかける声を聞きます。 |
| 「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 |
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| そうなのです。 |
| 私達はもうすでにイエス様を見ていたのです。 |
| イエス様だと気付かない時にすでにイエス様は私達のところに来てくださって |
| いたのでした。 |
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| ●見えるようにしてくださる |
| 私達は見えない者です。 |
| イエス様がそこにおられるのに気付かない者です。 |
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| 見えるようにしてくださるのはイエス様です。 |
| イエス様は、神の業が見えるように、イエス様の救いが見えるようにしてくださ |
| います。 |
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| ●見えるということ |
| 「目が見える」ということは、イエス様は人となってこられた神であり、わたしの |
| 救い主だ、とわかることです。 |
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| イエス様は全ての人々を救うために、この世に来てくださったのでした。 |
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| けれども、そのことが分からない人達がいました。 |
| イエス様による神様の救いの業が見えないのです。 |
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| 多くのユダヤ人達がそうでした。 |
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| ●なぜ見えないか |
| なぜ見えないのでしょうか。 それは自分達は見えると思っているからです。 |
| 自分は分かっていると思っているからです。 |
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| 自分達は神様に従って正しく生きている、神様のことはよく知っている、と思って |
| いるのです。 |
| この人達は、イエス様を裁いて、「あの者は罪ある人間だ」と言いました。 |
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| ●イエスは裁く |
| ところがイエス様は |
| 「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。」 |
| と言われるのです。 |
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| 人がイエス様を裁くのではありません。 |
| イエス様が人を裁かれるのです。 |
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| ●裁くということ |
| イエス様は、全ての人々を救うために来られたはずです。 |
| それなのに、裁く、とはどういうことでしょうか。 |
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| イエス様が来られたことによって、神様の救いの業が見えているか、見えてい |
| ないか、がはっきりしたのでした。 |
| 見えている者と見えていない者が区別される、それが裁くということです。 |
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| 人々は長い間救い主を待ち望んでいたのでした。 |
| でもまだ来ていない、見えなかったのです。 |
| そしてイエス様が来てくださいました。 |
| 見えなかった救い主が見えるお方となったのです。 |
| 見えるようになった人達は「主よ、信じます」と告白します。 |
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| ところが、自分は「見える」と思っている人達は、イエス様が救い主であることが |
| 見えなかったのです。 |
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| 自分は「見える」と思っている者は、ほっておけばそのままずっと自分は見える |
| と思い続けていくでしょう。 |
| 「あなたは見えないのだ」と指摘される必要があります。 |
| 指摘されて、初めて「自分は見えていなかったのだ」と分かるのです。 |
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| 「自分は見えてなかったのだ」とわかった時、見えるようになります。 |
| 初めて、神様の救いの業が見えるようになるのです。 |
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| イエス様は |
| 「今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」 |
| とはっきり言われました。 |
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| ●見えているか |
| あなたは、イエス・キリストの救いが見えているでしょうか。 |
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| 自分は分かっている、自分は正しく生きてきたし今も生きていると思っているな |
| らば、すなわち自分は「見えている」と思っているならば、イエス・キリストは見え |
| ません。 |
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| 私達はイエス様に「今、『見える』とあなたは言っている。だからあなたの罪は残 |
| る」と言っていただく必要があります。 |
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| ●十字架 |
| イエス様は全ての人々を救うために、この世にこられました。 |
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| イエス様は全ての人のすべての罪を負って十字架にかかり、その罪を贖ってく |
| ださいました。 |
| イエス様の十字架は、私達が生きているこの歴史の中で起こった出来事です。 |
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| 私達が見えていなくても、もうイエス様は来てくださっているのです。 |
| イエス様は、私達の目を見えるようにしてくださいます。 |
| 神様の救いの業が見えるようにしてくださいます。 |
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| イエス様は、私達に、わたしに、あなたに言っておられます。 |
| 「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 |
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| 私達は言います。 |
| 「主よ、信じます。」 |
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| ●結語 |
| 今私達はイエス・キリストの十字架を見ることが出来ます。 |
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| もう、イエス・キリストの十字架の救いを見ています。 |
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