| <メッセージ> |
| ●手紙の終わり |
| ガラテヤの信徒への手紙の最後です。 |
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| パウロは自分自身で筆を取り、大きな字で書きます。 |
| 「わたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るもの |
| が決してあってはなりません。」 |
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| これまでは、パウロが言った言葉を弟子が書き留めていたのでした。 |
| でも今は自分で、大きな字で、最も重要なことを書きます。 |
| 「主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはならない。」 |
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| ●ガラテヤの人々 |
| ガラテヤの人々は、ただ、ただ、キリストの十字架の贖いを受け入れてキリスト |
| 教徒となったのでした。 |
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| ところが、パウロがガラテヤを離れた後、ユダヤ教からキリスト教徒になっ人達 |
| がやってたきたのでした。 |
| この人達がガラテヤの人々に、割礼を受けなければならない、と言ったのです。 |
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| ●肉について誇りたい者 |
| パウロはこの人達について、 |
| 「あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいる |
| のだ」と言います。 |
| この人達は、肉において人からよく思われたいのです。 |
| キリストの十字架のゆえに迫害されたくないのです。 |
| 自分たちもユダヤ教の一派なのだと言って、多数の中に安全に生きていきたい |
| のです。 |
| そして自分の業績を誇りたいのです。 |
| 何人に割礼を施した、と数を誇り、自分の仲間が増えたことを誇りたいのです。 |
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| ●キリストの十字架を誇る |
| 「わたしはそうではない」 |
| 「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るも |
| のが決してあってはならない」とパウロは言います。 |
| とても強い語調です。 |
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| 「キリストの十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつ |
| けにされているのだ。」 |
| と言います。 |
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| 「世はわたしに対して死んでいる存在だ。」 |
| 世はわたしに対して何もできない、わたしを世の誉れを求めるようにさせるこ |
| とは出来ない、ということです。 |
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| 「わたしは世に対して死んでいる存在だ。」 |
| わたしは世の求めに従い世の誉れをほしがる者ではない、ということです。 |
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| ●かつてのパウロ |
| かつてのパウロはそうではありませんでした。 |
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| 彼は熱心なユダヤ教徒だったのです。 |
| 世の誉れの中で生きていました。 |
| 1章で言っています。 |
| 「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。 |
| 1:14 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ |
| 年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」 |
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| ●キリストと共に十字架に死ぬ |
| そのパウロが |
| 「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るも |
| のが決してあってはなりません。」 |
| と叫びます。 |
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| 彼はキリスト共に十字架に死んだのです。 |
| キリスト共に新しい命に生きる者となりました。 |
| 2章で言っています。 |
| 「2:19 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって |
| 死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 |
| 2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたし |
| の内に生きておられるのです。」 |
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| ●バプテスマ |
| バプテスマは、キリストと共に死にキリストと共に生きることを表します。 |
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| ローマの信徒への手紙です。先ほど交読文で読みました。 |
| 「6:3 それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれ |
| るためにバプテスマを受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるためにバ |
| プテスマを受たことを。 |
| 6:4 わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずか |
| るものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復 |
| 活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです |
| 6:5 もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、 |
| その復活の姿にもあやかれるでしょう。 |
| 6:6 わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に |
| 支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っていま |
| す。」 |
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| バプテスマを受けるということは、古い自分が死ぬことです。 |
| 新しい命に生きることです。 |
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| ●新しく創造される |
| 大切なのは、新しく創造されることです。 |
| 「6:15 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。」 |
| と記されています。 |
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| 割礼を受けてもだめなのです。 |
| 自分は割礼を受けている、と自分を誇っていても、律法を完全に守っているの |
| ではありません。 |
| 人はどんなに律法を行って正しい人間になろうとしてもなれないのです。 |
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| 「創造される」と言うことは部分的に修正されることではありません。 |
| 自分の悪いところを修正すれば正しくなれるというのではないのです。 |
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| キリストの十字架によって、全く新しくされるのです。 |
| 自分でなんとか正しい者になって神様に「あなたは良し」と言ってもらおうと |
| していたことをやめ、神様の前にただ赦していただくしかない者であることを |
| 認めるのです。 |
| キリストがわたしの罪を代わって負って十字架に死んでくださったことによっ |
| て、罪あるわたしを神様が「良し」と言ってくださる、ただただキリストにある |
| 赦しの中に生きていくわたしとなるのです。 |
| それが、新しく創造されるということです。 |
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| ●バプテスマを受けて |
| 私達はキリストの十字架の救いを知りました。 |
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| イエス・キリストをわたしの救い主と告白してバプテスマを受けました。 |
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| バプテスマに於いて水の中に沈められることは、古い自分の死を意味します。 |
| 水から引き上げられた時、新しい命が始まるのです。 |
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| そのようにして、私達はキリストの十字架による救いの原理に従って生き始 |
| めました。 |
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| ●原理 |
| 「原理」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「カノーン」という言葉です。 |
| もともとはまっすぐな棒という意味で、定規、物差し、を言います。 |
| そこから、規範・原理を意味するようになりました。 |
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| 私達はカノーンを持っているのです。 |
| キリストという基準、物差しを持っています。 |
| 生活の筋道がはっきりしているのです。 |
| キリストの道を一筋に歩いてきます。 |
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| ●秘訣 |
| それでも、私達は何と弱い者でしょうか、すぐに道から外れそうになるのです。 |
| 時代や社会の変化、自分の生活の変化、周りの人々の考えの変化につら |
| れて、私達も右へ左へと揺れ動くのです。 |
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| キリストの道をまっすぐに歩いて行くための秘訣があります。 |
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| サーカスの綱渡りを思い出してください。 |
| 綱渡りをする人は、まっすぐに行き先を見つめています。 |
| 到達点から目をそらしたり足下を見たりしたら、すぐに落ちてしまいます。 |
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| 私達も到達点のキリストを見つめ続けるのです。 |
| キリストから目をそらしたら、足下を見たら、すぐ落ちてしまいます。 |
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| 綱渡りをする人は長い棒を持っています。 |
| 長い棒でバランスをとっているのです。 |
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| 私達はすぐに右へ左へと傾いて落ちそうになる者です。 |
| バランスをとってくれる棒が必要です。 |
| 聖書を読むこと、祈ること、礼拝に集うことが棒です。 |
| 棒が長くなればなるほど、落ちずに道を歩むことが出来ます。 |
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| ●神のイスラエル |
| このようにキリストの原理に従って生きて行く人達のことを、パウロは、神の |
| イスラエルと言い表しています。 |
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| 肉のイスラエルというものがあります。 |
| 神様はアブラハムに「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」と |
| 約束されました。 |
| この約束を受け継ぐ民のことをイスラエルと言います。 |
| アブラハムの血統であるユダヤ民族がイスラエルでした。 |
| けれども、この肉によるイスラエルは神様の約束を実現できなかったのです。 |
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| そのような世に、イエス・キリストが来られました。 |
| 十字架によってすべての人々を神様の救いに入れてくださいました。 |
| この原理を受け継ぐ者が神のイスラエルです。 |
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| イエス・キリストを信じて歩む私達は神のイスラエルです。 |
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| パウロは |
| 「6:16 このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエ |
| ルの上に平和と憐れみがあるように。」 |
| と祈っています。 |
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| 今、私達は、神様の平和と憐れみの中に置かれて生きています。 |
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| ●煩わさないで |
| 終わりにパウロは |
| 「6:17 これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。」 |
| と言います。 |
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| 「わたしに面倒なことを言って来るな」とガラテヤの人々を突き放しているの |
| ではありません。 |
| ガラテヤの人達がまっすぐにキリストの十字架だけを見て生きていれば、パウ |
| ロは心を煩わせないで済むのです。 |
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| キリストの十字架の救いの原理に従って生きてほしい、と願う言葉です。 |
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| ●手紙最後の挨拶 |
| 手紙の最後は |
| 「6:18 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの |
| 霊と共にあるように、アーメン。」 |
| です。 |
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| キリストからはずれそうになっているガラテヤの人達、割礼を受けなければな |
| らないという人達に心惹かれているガラテヤの人達、この人達をパウロは「兄 |
| 弟」と呼びます。 |
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| 「わたしたちの主イエス・キリストの恵みがあるように」 |
| と言います。 |
| 「わたしたちの主イエス・キリスト」―キリストは、パウロにとってもガラテヤの人 |
| 達にとっても主なのです。 |
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| 原文では |
| 「わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように」 |
| と祈りが記されます。 |
| そして「兄弟達よ」と呼びかけ、「アーメン」と言います。 |
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| 最後に「兄弟達」「アーメン」というパウロ。 |
| 深い思いが込められています。 |
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| ●結語 |
| ガラテヤの信徒への手紙を終わるにあたって、私達もパウロと一つ思いになっ |
| てきっぱりと言いましょう。 |
| 「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇る |
| ものが決してあってはなりません。」 |
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| 私達の主イエス・キリストは、十字架につけられた姿を私達の目の前にはっき |
| りと示してくださっています。 |
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