| <メッセージ> |
| ●キリストに結ばれて歩む |
| コロサイの信徒に宛てられた手紙を、私達運河教会に宛てられた手紙として読んで |
| います。 |
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| パウロは私達に言います。 |
| 「2:6 あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに |
| 結ばれて歩みなさい。」 |
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| そうです。 |
| 私達ひとり一人が、それぞれに主イエス・キリストを受け入れたのです。 |
| 私達の群は、キリストに結ばれている群です。 |
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| ●「〜の中に」「エン」 |
| 「結ばれて」と訳されている部分は、ギリシャ語の「エン」という単語です。 |
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| 「エン」は色々に訳せる単語ですが、基本的には「〜の中に」という言葉です。 |
| ですから「キリストに結ばれて歩む」とは、「キリストの中に居て歩む」ことです。 |
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| ●「キリストに結ばれて歩む」とは |
| 「キリストの中に居て歩む」とは、どういうことでしょうか。 |
| その説明が、続く節に記されています。 |
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| 7節には |
| 「2:7 キリストに根を下ろして造り上げられ」 |
| とあります。 |
| ここにも「エン」が使われています。 |
| キリストの中に根を下ろすのです。 |
| キリストの中に造り上げられていくのです。 |
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| 9節には |
| 「2:9 キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形を |
| とって宿っており、」 |
| とあります。 |
| ここにも「エン」が使われています。 |
| 文字通りキリストの中に、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形 |
| をとって宿っているのです。 |
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| 10節 |
| 「2:10 あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。」 |
| の「キリストにおいて」も「エン」です。 |
| キリストの中に満たされているということは、わたしの内側にも外側にもキ |
| リストが満ちている、ということです。 |
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| 私達はキリストに結ばれて歩むのです。 |
| 私達は、キリストの中に根を下ろします。 |
| キリストの中に造り上げられていきます。 |
| 私達はキリストにおいて満たされています。 |
| 私達はキリストの中に居るのです。 |
| 内側にも外側にもキリストが満ちています。 |
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| 私達を満たしているキリストには、満ちあふれる神性が、余すところなく、 |
| 見える形をとって宿っています。 |
| キリストはすべての支配や権威の頭です。 |
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| ●人のとりこにされないように |
| パウロが私達に |
| 「キリストに結ばれて歩みなさい。 |
| 2:7 キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっ |
| かり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」 |
| と命じるのは、人間の言い伝えにすぎない哲学、むなしいだまし事が、私達 |
| の中に入り込もうとしているからです。 |
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| 私達は、この世を支配している考え方、価値観、やり方の中で生活しています。 |
| ですから、教会にも世を支配している考え方、価値観、やり方を持ち込んで |
| くるのです。 |
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| それはごく自然に入り込んできます。 |
| 私達はあたりまえのこととして、何も感じずに受け入れてしまうのです。 |
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| ●キリスト教の世界にもある |
| 「人間の言い伝えにすぎない哲学」とは、この世の考え方だけではありません。 |
| キリスト教の世界にも、人間の言い伝えにすぎないものがあります。 |
| こちらの方が、恐ろしいです。 キリスト教の姿を装っていますから、何の |
| 疑問も起こさせないで教会の中に入り込んでくるのです。 |
| 私達は、キリスト教の世界では当たり前になっている、しきたりになってい |
| る、ほかの教会もしているからと、簡単に受け入れてしまうのです。 |
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| ●マルチン・ルター |
| マルチン・ルターは、キリスト教の世界では当たり前になっていることに、 |
| 「ノー」と言った人です。 |
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| ルターは、1505年21歳の時に修道院に入りました。 |
| 彼は熱心に修道生活を送りました。 |
| 祈りを捧げ、罪を犯さないよう努力しました。 |
| けれども、どんなに善い業を行っても、心の平安が得られなかったのです。 |
| 神様の前で自分は義である、絶対的に正しいと言い切ることができないこと |
| に苦しみました。 |
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| 1511年ルター28才のある日、突如光を受けたように、ローマの信徒へ |
| の手紙を通して新しい福音の理解が与えられました。 |
| 1章17節 |
| 「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで |
| 信仰を通して実現されるのです。」 |
| 3章24節 |
| 「3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償 |
| で義とされるのです。」 |
| 人間は良い行いによってでなく、信仰によってのみ義とされること、人間を |
| 義とするのは、すべて神の恵みであることを悟りました。 |
| 彼は、今までになかったほどの魂の平安を得、救いの確信を得ることが出来 |
| たのでした。 |
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| 当時、教会は、救いのためには、信仰はもちろん大事だけれども、それだけ |
| ではだめで、善い行いをして自分の罪の償いをしなければ救われないと教え |
| ていました。 |
| そして、免罪符を買うことによって救われる、と言っていたのです。 |
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| 1517年10月31日、ルターは、95ヶ条の論題といわれる公開質問状 |
| を、ヴィッテンベルク城の教会の扉に張り出しました。 |
| これは 免罪符の発行を批判したものであって、ローマ教皇や教会の存在、 |
| 制度、その権威そのものを否定したものではありませんでした。 |
| けれどラテン語で書かれていたこの文書はドイツ語に翻訳され、2週間のう |
| ちに世の中に広まったのでした。 |
| 激しい論争が起こりました。 ルターには暗殺される危険が迫っていました。 |
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| 4年後の1521年、ルターはヴォルムズ帝国議会に召還され、彼の主張を |
| 放棄するように迫られました。 |
| ルターは拒否しました。 |
| ルターは言います。 |
| 「我はここに立つ。他になしあたわず。神よ、我を救い給え。アーメン」 |
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| ルターはローマ教会から破門され、すべての法的権利が剥奪されたのでした。 |
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| ルターが「95ヶ条の論題」を貼り出した10月31日は、こんにち、宗教 |
| 改革記念日となっています。 |
| このあと歌います讃美歌267番はルターが作詞作曲したものです。 |
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| ●気をつけなさい |
| パウロは私達に言います。 |
| 「2:8 人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって |
| 人のとりこにされないように気をつけなさい。」 |
| 私達の教会にも、世の考え価値観が入り込んでくる、キリスト教の世界から |
| も人の言い伝えに過ぎないものが入り込んでくる危険があるのです。 |
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| 誰かがそれを持ち込みます。 |
| 最初は本当に小さいものです。 |
| それがいつの間にか教会の中に広がって、当たり前になっていくのです。 |
| パン種のようです。 |
| パウロは言います。 |
| 「5:7 あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔 |
| をして真理に従わないようにさせたのですか。 |
| 5:8 このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものでは |
| ありません。 |
| 5:9 わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。」 |
| 交読文で読みました。 |
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| ●パン種を見極める |
| 「むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。」 |
| とあります。 |
| 「気をつけなさい」と訳されている言葉は「見分けなさい」という言葉です。 |
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| 教会に入り込んできたものが、キリストに従うものか、そうでないかを、 |
| 即座に見分けることが必要です。 |
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| どうしたら見極めることが出来るでしょうか。 |
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| キリストに満たされているならば見極めることが出来ます。 |
| キリストに満たされていると、異質なものが入り込もうとすると、直感的に |
| 違和感を感じるのです。 |
| 違和感を感じたとき、そのままにしておかないことです。 |
| それが本当にキリストにあるものか、そうでないものかを、注意深く調べる |
| ことです。 |
| それがキリストに従うものでないとわかったら、すぐに取り除かなければい |
| けません。 |
| ほっておけば、それはパン種のように教会全体に広がっていきます。 |
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| パウロは私達に言います。 |
| 「2:10 あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。」 |
| 私達はキリストにおいて満たされているのではありませんか。 |
| 人間の言い伝えにすぎない、むなしいだまし事を見分けられるはずです。 |
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| ●キリスト |
| 私達を満たしているキリストは、どのようなお方であるかを知りましょう。 |
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| パウロは言います。 |
| 「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 |
| 2:14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これ |
| を十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」 |
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| 私達を訴えて不利に陥れる証書があります。 |
| これまで生きて来た自分のすべてが録画されていると思ってみてください。 |
| それが証拠として残されているのです。 |
| 誰が神様の前で、自分は全く間違いを犯していない、神様に背いたことは無い |
| と言えるでしょうか。 |
| ところが神様は、その録画を消去して、わたしたちの一切の罪を赦してくださ |
| ったのです。 |
| 消去のボタンをポンと押して消去されたのではありません。 |
| キリストを十字架に釘付けにすることによって、破棄してくださったのです。 |
| 私達が今あるのは、キリストの十字架によるのだということを、忘れてはな |
| りません。 |
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| ●解放 |
| 続いてパウロは言います。 |
| 「2:15 もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従え |
| て、公然とさらしものになさいました。」 |
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| 私達はこれまで、なんとたくさんのものに縛られてきたことでしょうか。 |
| 世を支配している価値観や考え方、キリスト教世界で権威を持っているもの、 |
| 諸々のものに縛られていました。 |
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| それらのものにキリストが勝利してくださったのです。 |
| 十字架によって勝利してくださいました。 |
| もろもろの支配と権威は取り除かれました。 |
| 今や、キリストがすべての支配や権威の頭です。 |
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| ●バプテスマ |
| 私達は、この主イエス・キリストを受け入れ、バプテスマを受けたのでした。 |
| キリストと共に葬られ、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、 |
| キリストと共に復活させられたのです。 |
| 新たに生きる者とされました。 |
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| 今、私達はキリストにおいて満たされています。 |
| キリストの中に居ます。 |
| わたしの内側にも外側にもキリストが満ちています。 |
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| キリストによって、もろもろの支配や権威から解放されています。 |
| 人間の言い伝えにすぎない哲学、むなしいだまし事によって人のとりこにさ |
| れることはありません。 |
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| ●結語 |
| パウロは私達に命じます。 |
| 「2:6 あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリ |
| ストに結ばれて歩みなさい。 |
| 2:7 キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっ |
| かり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」 |
|
| 私達はこれからもキリストに結ばれて歩んでいきます。 |
| キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり |
| 守ります。 |
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| 私達の主イエス・キリストにあふれるばかりの感謝をささげましょう。 |
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