| <メッセージ> |
| ●重い皮膚病 |
| 皆さんのお持ちになっている聖書に「らい病」と書いてあるかもしれません。 |
| 1996年に、日本聖書協会から、重い皮膚病に訂正するようにという案内が |
| 出されています。 |
| 皆さんが持っている聖書が「らい病」になっているならば、それは1996年以前に |
| 出版された聖書であるということです。 |
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| 1996年は、長いことらい病(ハンセン病)で苦しんでこられた方達にとって、特別な |
| 年になりました。 |
| この年にらい予防法が廃止されたのです。 |
| 古く1907年明治40年に「らい予防に関する件」という法律が定められ、それが |
| 1953年にらい予防法になりました。 |
| ハンセン病患者の隔離が法律によって定められたのです。 |
| ハンセン病と診断されると、家を離れ、家族と離れ、施設に入らなければなりません。 |
| そしてそこから出ることは一生できなかったのです。 |
| 男も女も子供が出来ない処置がされました。 |
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| しかしハンセン病は伝染力が弱く、感染しても発症することが少なく、1940年代 |
| にはプロミンという特効薬も発見されていて、隔離される必要はなかったのです。 |
| にもかかわらずこの法律を根拠に43年間も隔離され続けたのでした。 |
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| ●イエス様の時代 |
| この状況は、イエス様がおられた2000年前のユダヤにもありました。 |
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| さらにさかのぼること600年、レビ記には重い皮膚病についての規定が記されて |
| います。 |
| ここでの重い皮膚病はらい病に限らなかったようです。 |
| この状況は、イエス様がおられた2000年前のユダヤにもありました。 |
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| さらにさかのぼること600年、レビ記には重い皮膚病についての規定が記されて |
| います。 |
| ここでの重い皮膚病はらい病に限らなかったようです。 |
| この状況は、イエス様がおられた2000年前のユダヤにもありました。 |
| 当時の医術ではらい病と他の皮膚病との見極めがむずかしかったのでしょう。 |
| いずれにしても、重い皮膚病はめったに治らない病気でした。 |
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| レビ記13章にはこのように記されています。 |
| 「 13:45 重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを |
| 覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。 |
| 13:46 この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に |
| 住まねばならない。 |
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| ほかの人が自分に近寄って汚れがうつらないようにと、自分で「わたしは汚れた |
| 者です。汚れた者です」と言わなければならないということは、残酷なことです。 |
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| ●イエス様のところに来る |
| こういう規定があるのですから、今日の箇所に出てくる重い皮膚病を患っている |
| 人は、イエス様のところに来てはいけなかったのです。 |
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| 禁を犯してまでイエス様のところに来るこの人の気持はどんなであったかと |
| 思います。 |
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| 彼を突き動かすものがありました。 |
| 彼は確信していました、イエス様はわたしを清くすることがお出来になる。 |
| イエス様の他に、わたしを清くすることの出来る人はいない。 |
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| 確信する故に、彼は禁を犯してでもイエス様のところに来ずにはおられなかった |
| のです。 |
| 彼はイエス様のところに来てひざまずいて、叫ぶように「わたしを清くしてください」 |
| と言うに違いありません。 |
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| ●御心ならば |
| ところが彼は「わたしを清くしてください」と言いません。 |
| 「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」 |
| と言います。 |
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| 「御心ならば」という言葉は「もしあなたがそうしたいと思われるならば」という |
| 言葉です。 |
| 『イエス様がそうしたいと思われるならば、必ずそうなる』ということです。 |
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| 彼の確信は、自分の願いが必ずかなう、というものではありません。 |
| イエス様が自分の願い通りにしてくださる、と思っているのではありません。 |
| イエス様の意志が成るという確信です。 |
| 治ることがない重い皮膚病でもイエス様が清めようと思えば清くなる、という信仰 |
| です。 |
| 不可能に思えることでも、イエス様がそうしようと思えば可能になる、という |
| 確信です。 |
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| もちろん彼は切実に清められることを願っています。 |
| でもその自分の願いは退いています。 |
| イエス様の意志ひとつに任せきっているのです。 |
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| ●深く憐れんで |
| この彼の信仰がイエス様の心を激しく揺さぶりました。 |
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| 「深く憐れんで」は内臓がよじれるほどの激しい感情の動きを表わす言葉です。 |
| この言葉はイエス様だけに使われている言葉です。 |
| イエス様は人の痛み苦しみを、我が身の痛み、苦しみとして感じられるのです。 |
| わたしの痛み苦しみを、これほどまでに自分の痛み苦しみとしてくださる人は |
| イエス様の他にはいません。 |
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| ●I will. |
| それでイエス様は言われます。 |
| 「よろしい。清くなれ」 |
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| 「よろしい」では弱いです。 |
| I will. わたしは意志する。 |
| 文語訳では「わが意(こころ)なり。潔(きよ)くなれ」と訳しています。 |
| 強い強い言葉です。 |
| イエス様がそうしようと思われるのです。 |
| だからそうなるのです。 |
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| ●イエス様は触れられる |
| イエス様は手を差し伸べてその人に触れられました。 |
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| 重い皮膚病の人に触れることなど、決してしてはいけないことだったのです。 |
| 触れればその人の汚れがうつるのです。 |
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| しかしイエス様は触れられました。 |
| イエス様は彼の汚れをご自身に負ってくださったのです。 |
| こうして彼の重い皮膚病はたちまち去り、彼は清くなったのでした。 |
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| ●祭司のところに行きなさい |
| 重い皮膚病が癒えた彼にイエス様は言われます。 |
| 「行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に |
| 証明しなさい。」 |
| 病が癒えたから、それですべて解決した、という風にはならないのです。 |
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| らい予防法が廃止された後も、多くの方達は施設にとどまらざるを得ません |
| でした。 |
| もとの暮らしに戻りたくても、帰る場所がなかったのです。 |
| あまりに長い時間が過ぎていました。 |
| 迎え入れてくれる家も家族も失われてしまったのです。 |
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| ●三重の苦しみ |
| 重い皮膚病にかかった人は三重の苦しみを負っていました。 |
| 肉体の苦しみがありました。 |
| 病気は苦しいです。 |
| どんな病気でもつらいです。 |
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| さらなる苦しみは、この病気になると汚れている、とされることです。 |
| 神様との関係で、汚れていると言われることによって、自分を責めることになり |
| ます。 |
| 信仰上の苦しみが加わるのです。 |
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| この人達は人々から引き離されました。 |
| 町から追い出され、町の外でたったひとりでいる。 |
| だれも近づいてはくれない。 |
| 誰も触れてはくれない。 |
| 汚れがうつらないように、人々は離れていく。 |
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| 病気であっても、人々がその病気を受入れてくれているなら、いたわってくれる |
| 人々の中で病気を治療し、病気を堪え忍ぶことができます。 |
| でも、社会が排除する病を病むというのは全くの孤独です。 それは耐え難い |
| ことです。 |
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| 肉体の苦しみの上に、汚れという宗教上の苦しみ、そして人々から見捨てられる |
| という社会的な苦しみが重なっていたのでした。 |
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| ●清める |
| こういうわけで、重い皮膚病が癒される場面では、必ず「清くする」という言葉が |
| 使われています。 |
| 一般的な病気を治すときは、セラペウオーという言葉が使われています。 |
| セラピーの元になっている言葉です。 |
| けれども、重い皮膚病について汚れが清められることが必要なのです。 |
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| ●社会復帰 |
| イエス様の意志によって、重い皮膚病が癒され、汚れは清められました。 |
| しかしこの人が人々の間で生活できるようになるためには、律法の規定を |
| 果たさなければならないことを、イエス様はご存じでした。 |
| それでイエス様は彼に言います。 |
| 「行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に |
| 証明しなさい。」 |
| 証明されて初めて町の中に入っていくことが出来るのです。 |
| 社会復帰が出来ます。 |
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| イエス様はその人を立ち去らせました。 |
| 彼は長いこと離れていた家に、家族の元に帰るのです。 |
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| ●現在 |
| 重い皮膚病にかかった人の苦しみは過去のことではありません。 |
| らい予防法の廃止によって、ハンセン病の患者の隔離は終わりました。 |
| けれども今もある人を人々の間から排除するということは、様々なところに |
| 起こっています。 |
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| ある種の病気、いじめやハラスメント、引きこもり、ホームレス等々のために苦しん |
| でいる人達がたくさんいるのです。 |
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| その人達の心の叫びはどれほどのものでしょうか。 |
| でもその人達の叫びは人々には伝わりません。 |
| 人々から疎外されているからです。 |
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| ●イエス様 |
| その叫びを受け止めてくださるお方がおられます。 |
| イエス様です。 |
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| 近寄ってくる重い皮膚病の人にイエス様は「来るな」と言われません。 |
| その人の叫びをはらわたがよじれるほどの思いを持って受け止めてくださいます。 |
| そして触れてくださるのです。 |
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| 今まで誰も触れてはくれなかった。 |
| 自分を見ればみんなが遠ざかっていく。 |
| でもイエス様は触れてくださるのです。 |
| 「わがこころなり。きよくなれ」 |
| と言われ、清くしてくださるのです。 |
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| イエス様は誰も聞いてくれない叫びを聞いてくださいます。 苦しみ、悩みをすべて |
| 受け入れてくださり、救ってくださいます。 |
| これはわたしも体験したことです。 |
| 皆さんもどこかで体験しておられるはずです。 |
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| ●言い広める |
| イエス様はこの人に厳しく注意して「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。」 |
| と言われました。 |
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| この時人々はまだ本当の意味でイエス様のことがわかっていませんでした。 |
| ただ病気を癒してくれる、ということで人々が集っていたのでした。 |
| イエス様がもっともっと深い人間の根源にある罪を取り除いてくださるお方である |
| ことがわかるのは、イエス様が十字架に死なれ復活された後のことです。 |
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| でも重い皮膚病を清めていただいた人は黙っていることが出来ませんでした。 |
| 今はもう町の中に入っていくことが出来るのです。 |
| もう「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と叫ばなくていいのです。 |
| 彼は自分の身に起こったことを人々に告げ、言い広めることが出来るのです。 |
| イエス様が清くしてくださったからです。 |
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| 彼はイエス様の福音を伝える最初の証し人になりました。 |
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| ●私達も |
| 私達も彼のように生かされたいです。 |
| 「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」 |
| と言える信仰を持ちたいです。 |
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| イエス様がそうしたいと思われるならば必ずそうなる、 |
| イエス様はどんなことでもお出来になると信じるのです。 |
| それは裏返せば、そうならなかったことも御心と、受け取っていくことです。 |
| お出来になるのになさらないのですから、それが御心なのです。 |
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| 祈りが聴かれなかったときにの逃げ道として、御心でなかったのだと思うのとは |
| 全く違います。 |
| 本気でイエス様はどんなことでもお出来になると信じるのです。 |
| その上で「御心ならば」と言うのです。 |
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| そのようにして生きていけば、どんなことが起こっても平安でいられるでしょう。 |
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| ●結語 |
| 「御心ならばわたしを清くすることがおできになります」と祈る私達は、イエス様の |
| 声を聞きます「わがこころなり。きよくなれ」。 |
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| 私達の主イエス・キリストは、私達を救うために十字架にかかり復活されたお方です。 |
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