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| <メッセージ> |
| ●「主よなぜ」 |
| 水野源三さんの「主よなぜ」という詩です。 |
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| ”主よなぜそんなことをなされるのですか |
| 私はそのことがわかりません |
| 心には悲しみがみちています |
| 主よどうぞこのことをわからせたまえ |
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| 主よ なぜそんな言葉を語られるのですか |
| 私にはその言葉が受けられません |
| 心には悩みがみちています |
| 主よどうぞその言葉を受けさせたまえ |
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| 主よなぜそんな道を開かれるのですか |
| 私にはその道は行かれません 心にはおそれがみちています |
| 主よどうぞこの道を行かせたまえ” |
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| (「わが恵み汝に足れり」アシュラム・センター) |
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| 私達は生きていて、なぜ、と思うことに出会います。 |
| 神様、なぜこんなことをなさるのですか、と問います。 |
| 神様のなさることが分かりません。 |
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| ●アブラハム |
| アブラハムも、なぜ、なぜ、と幾度も幾度もつぶやいたことでしょう。 |
| 神様が命じられることは、とうてい受け入れることが出来ないことでした。 |
| 神様はアブラハムに命じられたのです。 |
| 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行き |
| なさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげ |
| なさい。」 |
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| 愛するひとり子イサクなのです。 |
| どうして我が子を手にかけることができるでしょうか。 |
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| ●イサクを授かる |
| イサクは神様が授けてくださった子でした。 |
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| 神様はアブラハムに言われました。 |
| 「わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める |
| 祝福の源となるように。」 |
| 「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、 |
| あなたの子孫も数えきれないであろう。」 |
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| けれども子供が授からなかったのです。 |
| ところがアブラハムが100歳、妻サラが90歳になった時、イサクが生まれま |
| した。 |
| もはや子供を産むことが不可能な状態の中で与えられた子です。 |
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| ●相反する言葉 |
| 神様が授けてくださった子イサクによって、これから神様の約束が実現してい |
| くはずなのです。 |
| それなのに、イサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさい、と神様は言われる。 |
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| 相反する二つの言葉の間で、アブラハムは混乱したでしょう。 |
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| 愛する我が子を殺すことなどどうして出来るでしょう。 |
| アブラハムはどんなに苦悩したことでしょうか。 |
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| ●出発 |
| けれども聖書は淡々と記していきます。 |
| 3節です。 |
| 「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の |
| 若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。」 |
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| 光景を心に思い描いてください。 |
| 神様の言葉を聞いたすぐ次の日なのです。 |
| アブラハムは眠れない一夜を過ごしたことでしょう。 |
| 神様に問い続けたでしょう。 |
| そして心を決めたのです。 |
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| 早朝のひんやりとした空気の中、アブラハムはろばに鞍を置きます。 |
| 薪を割ります。 |
| そして出発します。 |
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| ●山に向かう二人 |
| 三日目に、神様が命じられた場所が見えます。 |
| 6節 |
| 「アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わ |
| せ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。」 |
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| 思い描いてください。 |
| 二人は一緒に歩いています。 |
| イサクは背中に薪を背負っています。 |
| アブラハムは手に火と刃物を持っています。 |
| 黙々と二人は山に登っていきます。 |
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| 7節 |
| イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここに |
| いる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、 |
| 焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。 |
| 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」 |
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| イサクはずっと不思議に思っていたのでしょう。 |
| 「わたしのお父さん」 |
| 「わたしの子よ」 |
| 深い信頼と愛の中で交わされる会話です。 |
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| 「焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 |
| 「きっと神が備えてくださる。」 |
| 父は、神様が言われたことを我が子に言うことができません。 |
| 「二人は一緒に歩いて行った。」 |
| と同じ言葉が記されています。 |
| 二人はまた黙々と歩き続けます。 |
| 重苦しい足取りです。 |
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| ●屠る |
| 9節 |
| 「神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子 |
| イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 |
| そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」 |
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| とうとう神が命じられた場所に着いてしまいます。 |
| アブラハムは祭壇を築きます。 |
| 薪を並べます。 |
| 息子イサクを縛って薪の上に載せます。 |
| 手を伸ばして刃物を取ります。 |
| 息子に刃物を振り下ろします。 |
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| アブラハムは本当に愛してやまない我が子を殺すつもりだったのです。 |
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| ●アブラハムの心 |
| 神様の言葉を聞いてからこの時までの4日間を、アブラハムはどれほどの思い |
| で過ごしたことでしょうか。 |
| 真っ暗闇の中を、現実に起こっている出来事と感じることが出来ずに歩いたで |
| しょう。 |
| 心は凍りついていました。 |
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| 私達は先に、イサクが殺されずに済んだことを知っています。 |
| ですからこの箇所をのんきに読んでいます。 |
| でも実際はそんなものではなかったでしょう。 |
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| またヘブライ人への手紙には「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、 |
| イサクを献げました。・・・アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせるこ |
| ともおできになると信じたのです。」 |
| と書かれています。 |
| アブラハムは神様を信じていた、だからイサクを献げることができたのだと思い |
| ます。 |
| 信仰があればやすやすと神様の言葉に従うことが出来ると思います。 |
| けれどもアブラハムは、神様が死人の中からイサクを生き返らせてくださるのだ |
| からと、平然とイサクを殺しにかかったわけではないでしょう。 |
| 『わけが分からない。でも神様の言葉に従います』 |
| それはアブラハムの全身全霊を懸けての決断だったのです。 |
| 自らのいのちを削る決断でした。 |
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| アブラハムはイサクを殺します。 |
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| ●押しとどめる神 |
| それを押し留めたのは、神様です。 |
| 「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であること |
| が、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにさ |
| さげることを惜しまなかった。」 |
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| そこには代わりの雄羊が用意されていました。 |
| アブラハムは息子の代わりに焼き尽くす献げ物として雄羊をささげました。 |
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| ●イエス・キリスト |
| このアブラハムがイサクをささげる出来事は、イエス・キリストの出来事に繋 |
| がっています。 |
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| 焼き尽くす献げ物は、人の罪を贖うために献げるものです。 |
| イサクは焼き尽くす献げ物にはならないで済みました。 |
| イサクの代わりに雄羊が献げられました。 |
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| けれどもイエス・キリストはすべての人々の罪を贖う献げ物になられたのです。 |
| 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」 |
| 神様は愛するひとり子キリストを殺されました。 |
| 神様がそうなさらなければならなかったほどに、私達の罪は重いのです。 |
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| 父と子は一体です。 |
| キリストは神そのものです。 |
| ですから父なる神がそのひとり子を十字架にかけられたと言うことは、神様 |
| ご自身が犠牲になられたということです。 |
| 父とひとり子という言葉によって、自ら犠牲となられる神様の愛を表現して |
| います。 |
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| アブラハムが愛するひとり子イサクをささげなければならなくなって味わった |
| 苦悩を通して、私達は神様の苦悩を知ります。 |
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| 神様は私達すべての人の罪を贖うためにどれほど苦悩されたことでしょうか。 |
| その苦悩を私達は十分に分かってはいないのでしょう。 |
| だから十字架の恵みがはっきりしないのです。 |
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| 神様はついに愛するひとり子を十字架につけて罪の贖いとすることを決断され |
| ます。 |
| イエス様は十字架にかけられました。 |
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| ●止める声はない |
| まさにイサクを殺そうとしたアブラハムに「その子に手を下すな」と言った声は、 |
| イエス様の十字架においては起こりませんでした。 |
| 十字架のイエス様の周りで起こった声は「他人は救ったのに、自分は救えな |
| い。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、 |
| 信じてやろう。」 |
| とののしる声でした。 |
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| イサクを献げる場面では、天使はアブラハムに言ったのでした。 |
| 「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の |
| 独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 |
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| でも、イエス様が十字架にかかられた時も、そして今も、神を畏れる者はいない |
| のです。 |
| イエス様は本当に十字架にかかって死なれてしまったのでした。 |
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| 私達の罪の深さを思います。 |
| イエス様はすべての罪を負って十字架につかれました。 |
| その贖いによって今私達は罪赦された者とされているのです。 |
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| ●神の愛 |
| 神様はどれほど私達を愛してくださっていることでしょうか。 |
| ヨハネによる福音書3章16節の言葉です。 |
| 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が |
| 一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 |
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| そして、ローマの信徒への手紙8章32節にはこのように書かれています。 |
| 「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と |
| 一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。・・・人を義と |
| してくださるのは神なのです。・・・死んだ方、否、むしろ、復活させられた方である |
| キリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださる |
| のです。・・・死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、 |
| 力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、 |
| わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き |
| 離すことはできないのです。」 |
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| ●結語 |
| ひとり子さえ惜しまず死に渡された神様の愛によって、今私達は生かされていま |
| す。 |
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